モビリティーとは?~私が興味を持ったこと添え~
モビリティーという言葉を、メディアでよく聞くようになりました。このブログではその「モビリティー」って何者なのか、わかりやすくまとめていきたいと思います。
車について何も知らなかった私と、モビリティーを知りたくなった私
仕事で差し迫られる
車関係のお客さんを相手にするお仕事をしているのですが、如何せんわたくしは車について知りません。
このままではお客さんを相手にできないぞ、と思ったのが、モビリティーについて詳しく知ろうと思った背景であります。
なぜ知らないか。
- 車を運転しない。
- 移動手段以外としての興味がない。
まず、いわゆる車の若者離れの象徴というか、20代の私は車を運転してきませんでした。
免許は無運転のままゴールドへ。ペーパードライバーでございます。
しかし、移動で車を使っていなかったというとそうではなくて、友人の車、家族の車は多いに活用していました。
なので、車にはお世話になっていましたが、車は運転するものではなく乗るもの、という感覚でした。移動手段の1つでしかなくて、タクシーや電車、自転車で代替できるならそれでいいじゃん、と。なのであまり車について詳しくありません。
モビリティーという言葉にピンとくる
車、もっというと車体とかにはいまだに強い関心は抱けていないのですが、モビリティーという言葉には、強い関心を抱いています。それはなぜか。
理由は、「価値」に重きを置いていると思うからです。
例えば、駅から徒歩15分の家に住んでいる人にとっては、
タクシーは2メーターで1000円でーす。
とか
自分の自転車の駐輪代は1日100円で自転車は所有物なので使用料はタダです。
じゃなくて、本質的には
徒歩15分の移動を〇〇分で済ます「価値」が△△円です。
という帰着になると思うのです。
この典型例は、昨今のサブスク(サブスクリプション=定額サービス)だと理解しています。
映画1本がいくらいくら、ではなくて
1月の暇な時間を潰すためにいくらいくら
っていう「暇な時間を潰す」という価値にお金を払っているのだと思うのです。
こういった、本質的な価値に主観をおいたサービスが、身の回りに増えてきているように感じます。
では、モビリティーの言葉の定義とは。
コトバンク様によりますと、モビリティーとは
〘名〙 (mobility) 場所、職業、社会的地位などの、可動性。移動性。流動性。*1
お、くるまに関係ない笑 移動体そのものというよりも、流れている状態を示すイメージでしょうか?
英英辞典ではこのように書かれています。
Sociology. the movement of people in a population, as from place to place, from job to job, or from one social class or level to another.*2
訳すと、「社会学的に、人々が場所から場所に、とある仕事から別の仕事に、とある社会的地位から他の地位に移動すること」といったところでしょうか。
ここでも、地位について触れられていますね。また、人の移動、という観点では、私がイメージしていた車や自転車を使った移動の価値、と近いイメージを持ってきます。
また、筋肉についても使われる言葉だと紹介するブログさんもいました。
「モビリティ関節」とは「体を動かすための関節」*3
なるほど、筋肉とは移動に必要なものだ、と納得。
モビリティーについて、私が深く知りたいこと
車、社会的地位、筋肉まで、幅広すぎるこのテーマを扱うのはどうやら難しそうなので、一旦絞ってみたいと思います。
私はエンジニアとして、半導体のお医者さんのような仕事をしています。
なので、社会的地位や身体的な意味での筋肉よりも、やっぱり車的な意味で、「A地点からB地点にヒトやモノが移動すること」を取り扱いたいと思います。
モビリティーの注目ワード
言葉の定義を確認したところで、どんなこをより深堀すると面白いのか、テーマを列挙してみます。
- 自動運転
- 電気自動車
- シェアリングサービス
- MaaS
- CASE
- スマートコネクティビティー
- スマートシティー作り
- キックボード
- 素材、部品
- 人工知能
部分的にかぶっているコトもありますね。
本質的には、もっと社会の中に統合されたものとして、つまりは法律や教育との関わりが出てくる気がしていますが、一旦は自分の興味に近いテクノロジー系に絞って考えてみます。
いつかの自分がこの記事を見返した時に、「法律について考える方が先だろ」とか「社会インフラがやっぱ一番大事だった」とか思うかもしれませんが、それはそれで将来の自分への良い振り返りができる材料の提供ということでよしとします。
頭から食べるか、尻尾から食べるか
数多くのキーワードがある中で、どこから手をつけるべきか。私は、「自動運転」「電気自動車」という観点から考えていきたいと思っています。なぜならば、それが「頭」だと思うから。「頭」という言葉の意図は、「新しい未来への先導」という意味です。
頭から未来に向かって泳いでいって、尻尾がそれについてくる、そんなイメージを持っています。
言い方を変えると、 ハードウェア、ソフトウェアという言い方もできるかもしれません。そして両方を合わせたコト。もっというとその魚が泳ぐ水そのものがサービス、つまりはモビリティーとなるのかなと思いました。
大切にしたい価値観1:批判的精神と良心的行動
私がこれらの情報をまとめようと思ったのは、先に申し上げたように仕事で必要になったからというネチョネチョした思いでしたが、もう少し爽やかな思いをいうと、「批判的精神と良心的行動」という信念を貫きたい、と考えたからです。
これは、岩波書店さんの信念としてあると理解していますが、
要するに、物事を穿った見方するんだけど、実際に行動に移すことは良心的、がいいなと思っています。
逆を言えば、 物事をうがった形だけで捉えて、文句を言っておしまい、とか、誰か犯人を祭り上げて叩いておしまい、みたいなことは、あまり喜ばしくないと思っています。
例えば、下記のような考えをする人がいるかもしれません。
- 日本は規制が厳しいので、自動運転化は難しい
- テクノロジー分野で日本はオワコン
これらの考えは、合理的な帰着であるとして、論理的に説明できるコトだとしても、私は少し前向きな捉え方をしたいと思います。例えば、
- 日本は規制が厳しいから安全性に関しては日本の基準をクリアすれば世界の国々の参考になるだろう
- テクノロジーで日本が遅れている部分はあるかもしれないけど、既存のものをより磨いていくのが得意な国だから、いろいろなビジネスチャンスありそう
のような感じです。
大切にしたい価値観2:Think globally, act locally
そしてもう一つ、「日本」という視点に拘らないようにしたいと思っています。例えば、日本が自動運転で勝つとか負けるとか、半導体分野で復権するとかしないとか、そういった考えは、他の人が持つことに対しては良いと思いますが、私自身は持たないようにしたいです。
それよりも、
- 自分の身の回りに自動運転車がやってきたらどんなに楽しいだろう。ワクワク。
- いやでも人が運転していないなんて怖くない?
- これまで退屈でしかなかった渋滞が、映画鑑賞の時間に変わったら、世界中のどんだけの人生がもっと豊かに変わるんだろ。
などのように、希望を自分を含めた人類に焦点を当てていきたいと思っています。これには、もしかすると
- 電気自動車が普及した環境負荷が減ればもっと長い期間、地球を綺麗に保てるかもしれない。
と言った地球目線も含まれてくるかもしれません。もっと言えば
- 宇宙人だったらこのサービス羨ましがるだろうなー
と言ったスケールまで飛躍しても面白いと思っています。いずれにしても、日本人である私ですが、日本だけを目的語、あるいは主語にせずに情報をまとめていきたいと思います。
そこにはメディアとしての偏りが出るかもしれませんが、なるべく客観的事実をもとに、批判的精神と良心的行動という価値観のもと、書き綴っていきたいと思います。
まとめ
- モビリティーとは、人や地位などが移動すること。
- 自動運転などの分野を中心に、モビリティーに関する情報をまとめていきたい。